2011年01月15日
日本市場は前からずっと"The Web Is Dead"
昨年8月に発表された”The Web Is Dead.Long Live the Internet”-「ウェブは死んだ」と題するクリス・アンダーセンらのコラムが年末年始にかけて国内でも和訳が広がり、局所的に話題となっています。
The Web Is Dead 和訳 - GQ Japan(PDF)
私たちはオープンで制限のないウェブが好きだが、より単純でスマートなサービスが機能するからという理由で、ウェブを捨てはじめた。
ここで言う「ウェブ」とは純粋にWorld Wide Webを指しています。Googleで検索してブラウザで見ることのできるインターネットのことです。このコラムでは私たちがインターネットをそれと意識して利用してきた「ウェブ」から、iPhoneアプリのように使っていたら必要に応じ勝手にアプリがインターネットから情報を引いて提供してくれる「アップス」にメインストリームが移行していくと予言しています。
また利用者の中心がネットに詳しい人からネットを知らない人に移って行き、求められるものが機能要件から体験価値に(「あれができる」から「使って心地いい」に)変化していくことで、体験価値に直接お金が支払われ、経済がまわるに伴って規模の経済やネットワークの経済といった経済原理が働き寡占が進んでいる、と現状を分析しています。
ここからは私の私見ですが、この現状分析と予言は現実を言い当てていると思っています。そしてその現実はすでに日本のインターネット市場が証明してきたことだと思います。
日本ではiモードやモバイルSNSが「ネットを知らないふつうの人」をインターネットに連れてくることに成功し、世界に先駆けてここで語られている状況を作っていました。"The Web Is Dead"は寡占プラットフォーム支配という意味でiモード的で、ネットワーク効果とクローズネットという意味でmixi的で、ネットを意識させなかったという意味でモバゲー的です。
日本の国内市場では「ふつうの人」を取り込むことに成功した事業者だけが生き残る構図があります。逆を言うと適度な市場規模がある故に「ふつうの人」を取り込むことができれば国内市場だけでも十分食っていけたのです。
ところがこれまで「ネットに詳しい人」だけを相手にしてもやっていけたグローバルプレイヤーが市場の成熟に伴って「ふつうの人」にも手を広げ始め、その触手がiPhoneやFacebookという体で日本のふつうの人を取り込み始めて日本のプレイヤーもグローバル競争に晒されるようになったというのがここ1年ほどの動きです。
現時点で最もThe Web Is Dead を体現しているのはFacebookのiPhoneアプリだと思います。友人が十分アクティブな状態でこれを利用するとあまりの気持ちよさに驚きます。今までブラウザで体験していたインターネットがいかに自分たちに我慢を強いていたのか。これなら自分の親でも使う気になるかも知れない、携帯のネイティブメーラーだけはなんとか使っている彼女らでも、と。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://huehara88.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/908


