2006年03月21日
ウェブ進化論から個人的指針を導き出すテスト
22日のRTCカンファレンスVol.10「ウェブ進化論」を前にしてこの数週間、自分で自分なりの「ウェブ進化論」の読解・解釈・昇華・指針を導き出そうと何度もトライしてみたが、どうにも手が進まなかった。三大潮流、Google覇権論、あちら側とこちら側にロングテール。2005年に自分が正面から向き合ってきたものごとがきれいに語られていてひたすら納得するのだが、それ以上のものがなかなか見えてこない。切り口としてのメディア論やビジネス論、マーケティング論のようなもので語ってパッケージしなおすようなことはできるのだろうが、あまり拙速にそれをしてしまうのもなんだか(自分で)落ちきらないような感じがしてしまうのだ。
その理由を考えてみると、この書籍に記されている内容が自分自身の中にあまりにもしっくり来ていて(ここ2年ほどの梅田さんの論をほぼくまなくウォッチしていたから当然か)、ひねって考えることがしづらい(要は「そのままその通りである」という読解になってしまう)ということもあるし、内容がここ数年のインターネット社会で起こっている変化を最大公約数的理解で要約していて、しかもそれぞれが梅田さん一級の概念的結論に括られているから今さらそれぞれの分野を掘り下げて思考してもその概念から飛び出すようなこともないから、といったところもあるのだろう。
この書籍に書かれていることが自分にしっくり来る、というところは言葉にするとおこがましいが、理由は端的に自分自身が世にエスタブリッシュメントと呼ばれる企業グループに所属していながらもインターネットビジネスの潮流にどっぷりはまって日々を過ごしているという環境によるところが大きいと思う。あちら側とこちら側の接触点が自分の日々そのものなのだ。書籍の中に何度か出てくるエスタブリッシュメンント的な思考様式は8年もその空気に触れ続けているといやでも染み付いてくるところがあるし、それなりにいいところ悪いところを感じたりもする。それでも今の自分の興味も思考も軸足もすっかりインターネット側に移ってしまっているのでその二つの思考様式が自分の中に並存しているのだ。これも言い切ってしまうとおこがましいような気がするのだが、そのせいで時折自分自身が分裂してしまいそうな苦しみも味わっているのでご容赦いただきたい。
梅田さんが何度か描写している「エスタブリッシュメント的」なるものの中で最も丁度よい表現と感じたところは書籍のP162の一節。
大組織に属する人たちの多くは、個としての情報がネット上に流れることを嫌いがちだ。個人情報をさらせば組織内で無用な詮索をされるケースもあるし、大組織の看板で仕事をしている場合には、個としての存在感を表に向かって出す必要がそもそもない。大組織の内部が素晴らしいコミュニティとして完結している場合には、そのコミュニティの外部に個として出て行く理由も存在しなかった。
私はインターネット側の仕事に就くまでは通信システム営業や光回線の販売企画といった職に携わっていたが、そのような仕事をしていく中においては自分自身が実名でネットに存在を出すことなど全く考えもしなかった。なぜなら社会に出て最初に属した組織は手の届く範囲で2000人からの部隊であったし、その後も4000人の部隊。その部隊に属する人それぞれがそれぞれの専門性やモチベーションを持ちながらではあるが、その2000人・4000人がほぼ一つの方向を向いて走っているのである。
そうなってくるとまずはその2000人の中での相互理解・学習や統制・競争といったものごとが発生するようになり、構成員の可処分思考の大部分を占める「コミュニティ」が形成されるのだ。1人1人の構成員はそのコミュニティ内での価値を優先するようになり、無用にお金を生み出さない行動や知恵を生み出さない(もしくはコミュニティ内でのアクションよりも知恵の稼動対効果が低い、もしくは計算の立たない)行動は取らなくなる。
そのこと自体は全く悪いことだったり成長が停止することではなく、そうなってしまうくらいにコミュニティ内の価値循環システム(要は人事・給与・管理・コミュニケーションなどの枠組)が成立している場合には構成員は稼動対効果の高い価値(給与も知識/知恵も家族との時間なども含む)を得ることができる。要は歴史に地ならしされた幸せ平均を総括りで手にいれ易いのだ。素晴らしいことだと思う。
ただ、経済的な指向性を持つコミュニティ(要は会社組織)において、そのコミュニティ全体としての経済的成長性が確保できなくなったときにはその価値循環システムは破綻を来たす。コミュニティの構成員が価値循環のモジュールとして機能するためのモチベーションはやはり価値、すなわち金銭や知恵や時間などがより高い域に到達することであり、全体としての成長が止まったコミュニティは構成員に対して継続的により高い価値を還元することができなくなってしまうからだ。
ではどうするのだ? という疑問に対する答えはまだ出てこない。私はエスタブリッシュメント企業というコミュニティの中にいながらにして個人でインターネットに声を発して自分の身を市場に晒してみるというテストをしてみて、自分はたまさか微小なりとも自分の属するコミュニティへの価値還元をなせているが、そうすることで当然コミュニティとの軋轢も発生しうるアンバランスさは絶えず内包している。誰もが同じようなことをしたときにコミュニティ自体が全体としての方向性を失ってしまって空中分裂してしまうであろうことも容易に想像できる。最初から個の集まりとして設計された組織ではないから、というのもあるし、”こちら側”のアナロジー的には個の集まり型で設計された組織というのは永続しないという歴史があるからでもある。そういう考え方自体が”こちら側”発想だ、といわれそうな気もするが、一旦”こちら側”での価値循環システムに身をおいてしまった人間が”あちら側”発想になることなど、連続的変化ではなしえないことであり、突然変異であり、いくら「ウェブ進化論」が”こちら側”サイドの人々に”あちら側”の存在を知らしめる役割を果たせたとしても、知ることと動くことの間には全く違う垣根があるのだ。結局「二つの価値観が理解しあうにはたいへんな時間を要する」というのが私の中にある答えなのだと思う。
では自分はどう動くのだ?どうするのだ?と考えてみると、やはり一度憑り着かれた”あちら側”の魅力を振り払うことなどできないのだろうな、と。あまり大上段に「二つの価値観をつなぐ」などとかっこつけたことを言うのではなく、どっぷりとあちら側の思考と行動に入りきった上で、一定期間こちら側にいたことを小さなコンピタンスの一つにして突き進んでみようと思う。
案の定駄文になってしまった。最後まで読んでくれた人ごめんなさいね。
他に言いたかったこと。もしくは今後文章化したいこと。
・コミュニティには独自ルールが形成される件
・コミュニティ規模が大きくなれば独自ルールはより完全市場ルールに近づく件
・”あちら側”も人口が少ない現時点は独自ルールを持つ一つのコミュニティでしかないことを覚えておこうの件
・インターネットが完全市場ルールの行き届く範囲を激烈に大きくしていることがインパクトの根源なのだと思う件
・日本というコミュニティが人口減少経済に入ってやばい件
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