2004年12月24日

子育てとインターネット

子育ての知恵袋、今はインターネット? -ITmedia
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未就学児の子供をもつ母親の約6割が、子育てに関する情報をインターネットから収集していることがわかった。これは、昨年調査結果に比べて約2倍の数字になる。
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地域社会における近所付き合いの希薄化や三世代同居率の低下はバブル以前から叫ばれていたことではあるが、これによって発生していた若年主婦の白痴教育という問題が常時接続ネット環境の普及と昨今の記名制(orID固定制)ネットコミュニケーションの発展によって解消されつつあるというお話。実際、私の周辺の若年主婦でも困ったときにはベネッセウィメンズパークに聞く、という方が少なからず存在している。

草創期のインターネットを体感して画面の向こう側に何か得体の知れないものを感じすぎているイノベーターたちよりも、ここ数年の接続性・検索性・表現力が高まった家電的ツールとしてのインターネットを初見したマジョリティ層の方が、インターネットをかしこく社会的意味性高く使いこなせているのかもしれない。

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2004年12月22日

Yahoo! VS Google on メディアコンテンツ

YahooとGoogleは何が違うのか -梅田望夫・英語で読むITトレンド

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Googleは人間の介在を極力回避しようとし、Yahooは人間こそがソリューションの中核に存在するべきだという価値観で成り立つ会社だ。
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この考察だけならば、「ああそうね」というだけのところだが、
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Johnは、YahooとGoogleが本格的にぶつかるのは、メディアコンテンツ、特に映像コンテンツを巡っての戦いであるはずで、そのアプローチにこのDNAの違いが出るはずだと主張する。
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というところで想像が膨らむ。
両者とも現在は検索の領域に技術の中心をおいている(Y!は去年からくらいだが)中、このところ映像メタ検索に関する開発を進めており、この技術の実装とビジネスモデルの組み立てが、メディアコンテンツ領域における両者の差を生むのだろう。特に映像コンテンツにおいては、ForPCよりもForTVに需要の主体が存在しており、本件の戦略を考える上で両者がインタラクティブTV向けナビゲーション事業への参入を標榜することは必然だ。

その中で冒頭の両者のアイデンティティを勘案すると、Yahoo!はForPCで築き上げた総合メディアとしての地歩を生かしたTV向け総合ポータルを目指して家電メーカーとの包括提携を進めるだろうし、GoogleはTV+リモコンという端末環境におけるベストな映像メタ検索技術をより幅広いメーカーのTV端末に「埋め込む」形で入り込むのではないだろうか。その上で、Yahoo!はこれまで通りの1:Nメディアとして、映像のみならず通信やコマースに踏み込んだ収益源を狙うことになるであろうし、Googleは映像メタ検索+P2P+DRM+課金という技術のキモを握る形態で主に流通する映像や情報に埋め込まれる形の広告による収益や課金のボトルの部分を握りマージンを得るという収益源を狙うことになると予測する。その結果、どちらがこの領域で勝利を収めるかはもちろんわからない。おそらくForPCの検索広告市場で起きたような、Googleが技術で先行、Yahoo!が後から追随という流れを踏襲することにはなるだろうが。


注目: なぜYAHOO!は最強のブランドなのか

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gooブログがケータイ動画に対応

情報発信の新たな可能性、gooブログがケータイ動画ファイルへ対応 -ITmedia
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動画ファイル対応は、ケータイで撮った動画への対応となる。動画ファイルが利用できるケータイから添付ファイルとして送信するだけでBlogに掲載でき、アップされたファイルはケータイからだけでなく、PCからも閲覧できる。
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ブロードバンドの普及によってユーザにもたらされた明確なメリットは、時間を気にせずネットコミュニケーションの世界に「住む」ことができるようになってしまったことと、マルチメディア表現、特に映像での表現が容易になったことです。

第一次ブロードバンドフィーバーは、通信事業者・放送事業者のエゴのぶつかり合いとコンテンツ事業者が夢を見すぎたことで需給バランスを欠いてネットバブルのローテーションの谷間に沈んでしまいましたが、ブログやSNSによる地に足のついた垣根の低いネットコミュニケーションの普及とそろそろ頭のこなれてきた映像ビジネスステークホルダーたちのこれまた地に足のついたリソース再投入によって、今度こそユーザが喜ぶ(=金を払う)サービスが生まれはじめる予感がします。

ブログのケータイ動画対応は、そのインフラ整備の口火として期待されます。これをユーザ側がどのように活用し始めるかが楽しみです。

秀逸!: インターネット社会のマーケティング―ネット・コミュニティのデザイン

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2004年12月16日

オンラインでの出会い

オンラインでの出会いについて考えてみる。

数年前までの感覚で普通に考えれば、オンラインで知り合った相手と実際に会って話したりプロフィールを明かしてオフラインでの関係に発展したり、そこからビジネスや友情や恋愛感情が生まれたりといったことはとても稀有なことであった。世間一般の考え方からすれば未だにそのようなことは特別(もしくは異常?)な体験であり、このところのSNSの普及によって助長されているこういった「出会い」を経験した人がそれを世の中一般のものごととして捉えがちであることには異を唱えさせていただく。たとえば自身の親御さんにその「出会い」について説明してもフツウにうなずくことはしないでしょう。

私が初めてオンラインで人と知り合いオフラインの関係(実際それは友情の醸成にまで至った)を築く体験をしたのは今から4年ほど前、当時相当の時間をかけて目指していた資格試験の自主学習にあたって、「思いを同じくする同友がほしい」と感じて検索エンジンでその資格名と私の住んでいた地域名を投入して一番上に出てきたホームページ(当時SEOという言葉も無かったがw)の中で登録を募集していたメーリングリスト上で企画された勉強会でのことだった。当時の私はインターネットのインフラ周辺の仕事をしていたが、そのような環境にあっても、同好同学の・メーリングリストで会話を交わし済の・同地域に住む・という今なら客観的に見てかなりの信頼度を感じられる相手にさえ、ガクガクブルブルと恐怖しながらその門を叩いたことを覚えている。 ネット環境の普及著しい最近の世間においても、一般の人々の7割程度がそのような心理状況にあると捉えておくことが肝要だ。

しかしもちろん、そのような社会状況がいつまでも続くわけではない。このところのインターネットの普及(特に常時接続の普及によるネットの本来ベネフィットの浸透)は人対人の出会いという社会学上の至極基本的な側面にも大きな影響を与えている。実情としてソーシャルネットワーキングの存在を語る以前に、iモード/ケータイメールの爆発的な普及や出会い系サイトの林立に伴って暴発した援助交際文化に代表される「オンラインでの出会い暗黒面」がすでに社会現象から日常風景とまでなっている。これはVHSビデオの普及過程におけるアダルトビデオの存在と同様、情報メディアの普及において必定とされる「メディアの暗黒面」という通過儀礼のようなものでもある。ネットコミュニケーションというメディアはその通過儀礼を経た上で、今現在ソーシャルネットワーキングやそれを後押し(or相乗)するブログのムーブメントによって「一般化」に向けた第一歩を歩みだしたところなのだ。

人は、過去や現在の時間や血縁地縁を共にした近しい人々とのつながりにはよりストック的な知覚や感情を以って接する傾向が強く、反対に新たな出会いや平常コミュニティを同じくしない人々からの情報・感情から自身の価値観に直接的な影響を受ける傾向がある。また日本においては特に、高度成長を経てバブル崩壊後の価値多様化・個人主義化の流れの中で、より一層、フロー的に感覚・情報共有可能なコミュニティの存在や、「さみしがりや」感覚を癒してくれるある種刹那に始まる人間関係が求められる時代背景もある。そのような、まさにグラノベター博士が学術的に証明した「弱い絆の強さ」という社会理論は、彼の提唱から30年の時を経た現在のソーシャルネットワーキングという名のコミュニケーションツールによって実践されていると言えるのだ。

今朝、私はオンラインで知り合い一緒に仕事をしたいと感じて熱烈にアプローチしていた相手にそっぽを向かれてしまった(リベンジ中だがw)。今日、私はオンラインで知り合った友人十数名と会い、また新たな刺激とやわらかな時間の共有を得てきた。 今、私は半年前からSNSでリンクし、まだ会ったことはないもののある種兄妹のように接してきたコの失恋の痛みに強く共鳴し、彼女をどうすれば今今このとき元気付けてあげられるだろうか、ということに沈思黙考している。 今日一日、ともすればこの1カ月の私の知覚・感情の80%以上が、「オンラインでの出会い」によって築かれた「弱い絆の強さ」の下で動いていたりする。

これはおそらく異常な体験ではない。これから時間はかかるかもしれないし、今のインターネット社会環境における有り様とは全くことなる姿になるかもしれないが、これからのインターネットベネフィットの普及過程の中で、オンラインでの出会いは世間一般に当たり前の物事となり、かつその弱い絆ゆえにリアルでの出会い以上に私たち一人一人の人生に影響を与えるものになるだろうと予測する。


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2004年12月15日

インターネット普及の影響

インターネットが世間に与える影響のことを考えてみる。

今の世の中、インターネットが当然のように普及して、局所的にはおじいちゃんおばあちゃんの世代までその存在が浸透しているようにさえ見受けられる。ブロードバンド回線は全世帯数の1/3まで普及し、5年前には考えられなかったレベルでインターネットのインフラ(=常時接続という本当の意味でのインターネットワールドへの窓口としてのインフラ)が浸透している事実は誰も否定することは出来ないだろう。

しかし、「インターネット」という語自体が意味するものは、ADSLとか光ファイバーとかいったアクセスインフラのことではなく、またYahoo!のようなポータルメディアサイトやOutlookExpressに表示される電子メールといった存在でもない。「インターネット」とは、これまで人がリアルや通信や放送や紙媒体といった方法によって行ってきた「コミュニケーション」(1:1や1:N、N:N含む)の全ての機能を包括し代替しうる手段であり、かつこれまでリアルでのみ可能であったあらゆる個人が参加可能な「場」としての機能(=コミュニティ機能)をも有する存在である。

このように考えたときに、改めて周囲を純粋な目で眺めてみると、実はまだまだインターネット本来のベネフィットが消費者の大勢の生活に影響を与えるものにはなっていないことに気づく。あるデータによれば、日本の人口のうちPCのキーボードを違和感無く使用できる人は2,000万人程度にすぎず、すなわちそれなりに自然な感覚でインターネットという場(本来のベネフィット全体を享受する状態)に参加可能な人自体が日本人口の16%程度であるということだ。改めて考えるに、IT先進層や主に若年層に対しての影響力は相当のところまで来ている事実に偽りはないが、「世間に」と考えたときの影響力はまだまだ充分なものではなく、むしろいまだ揺籃期そのものでしかないことを再確認する必要があるだろう。

現在のインターネット「先進層」におけるムーブメントとして、SNS・ブログ・Q&Aコミュニティといった常時接続時代に極めて合致する「場」型のインターネットサービスがもてはやされる傾向がある。しかしながら、これらはよく言われるところの「40万人のエバンジェリスト」らによって使いまわされている存在でしかなく、新たな技術・新たなサービスが出現しても、そのマーケットを見据えるマーケッターやコアユーザ、ステークホルダーたちがインターネット革命信仰の精神状態のままでその技術・サービスを扱っているうちは、本当の意味で「世間」に影響を与えることにはならない。なぜならそれは、インターネット「先進層」という閉じたコミュニティの中で「祭り」をやっては飽きることを繰り返しているに過ぎないからだ。

当たり前の生活感の中で他人のブログを読んだり自分で書いたりいるような人々は改めて理解すべきだ。「あなたは世間においてはインターネットへの親和度が異常に高い特別な存在なのだ」ということを。そして、もしそのような状況にあるあなたがインターネットに対してあなたの生活を変えてしまうようなインパクトをこれまでに受けてしまったことがあり、その状況にあなたが満足しているのならば、あなたのミッションは唯一つ。

あなたが感じたインターネットの「場」としてのベネフィットを世間の人々にお伝えすることだ。そうすることで、インターネットは初めて本当の意味で「世間に影響」を与える存在になる。

生後10年といわれるインターネット。産業革命以来の革命的存在という考え方をそのまま当てはめてもその時間軸におけるステータスは明快。 インターネットは今まだ揺籃期なのだ。

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2004年12月10日

GREE 田中良和社長

昨日GREEの田中さんとお会いした。
丁度二日前にグリー株式会社としての登記を終え、経営者としてのスタートを切ったばかり。

思ったとおりとてもがんばってる人だったよ。がんばってる人だった。
印象に残った言葉は、
「何十年か百年以上かをかけてコミュニケーションの姿が大きく変化していく中に、いくつものポイントがあって、それにたまたま名前がつけられていってるだけ。その一つとしてたまたまSNSっていう名前のものが今あるというだけのことだと思っている。」
というもの。

長中短期それぞれの時間軸の中でものごとを捉える人だった。経営者としてとても大事な視点の一つを持っているな、と感じた。半年で一躍「ネットコミュニケーション業界の成功者」かのように捉えられている彼だけど、彼自身は「全く成功ではない。だって儲かってないし」と言う。

これからイチできたてほやほや企業の経営者として歩いていくタイミングで、環境の変化に対してぶち当たっていっている一人の若者の姿だった。

総論、好感度アップでした。

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2004年12月07日

ガラス張りの世界で

とてもアタリマエのことを書いてみる。

インターネットが経済社会に産み落とされて10年。この”インターネット”というものがもっとも我々にインパクトを与えたのは、程度の差こそあれ、おそらく「認知障壁の排除」の側面といえるだろう。

これまでの社会は個人であれ企業であれ、その芯たる部分が他人に認知される機会はほとんどなく、情報の秘匿性や閉鎖性がその個人の人間関係バランスのコントロールポイントとなり、企業の集客・雇用・利益の源泉となってきた。しかしインターネットの普及、特にコンシューマのITリテラシー・ネットリテラシーが階乗数的に向上しつつある21世紀に入って以降は、情報の所有価値や貯蔵価値はそれとは正反対に下降の一途である。

例えば企業の場合。それまでであれば外向けのマーケティングプレゼンテーションと内向きの経営管理とでアナウンスを適切にチューニングした上でそれぞれに対して情報流通の壁を築いておけば、それぞれの世界が隔絶した状態を保ち、勝手に収まりのよい経営が成り立ってきた。個人であれば、例えば家庭と職場とでは全く異なる顔で過ごしていれば、職場で不倫していても家庭は崩壊していても、双方に情報の流通がなければ表面上は何ら問題なく日々を過ごしていくことができた。

だがインターネットはそういった前世代的、日本的に言えば戦後的な情報コントロールによる二面性の生成を不可能とする方向に個や組織の有り様を変えて行っている。今さら今さら東芝のクレーマー事件や東電の内部告発、このところの木村剛銀行のごたごたを例に挙げる間でもなく、企業は自らの活動の全てを内外のステークホルダーやコンシューマに監視されている。

企業はいつ何時も自らの悪事に対する告発の可能性と、そのステークホルダーやコンシューマ自身が生成しコントロールするインターネット上のメディアにおいて流布され議論され結論付けされる恐怖に身を震わせながら経営を進めていかなくてはならない状況だ。悪いことを何一つしていないカイシャなんてまず皆無だけどとくに悪いヒト達の場合一層。

そんな状況の中で、企業も個人もが環境適応のための行動として選択できるのは、「オープン化」というスタンスと「性善説」という価値観しかないのではないだろうか。

発生したこと、実態たることはたとえ自分に都合が悪いことであったとしてもオープンにする。無駄にそれを秘匿することやその暴露リスクを怯えることの方がよほどコストがかかる。オープンスタンスを一貫すれば、個人ならばその一挙手一投足が、企業であればその構成員一人一人の些細な活動全てが、自らのスタンスをコミュニケートし外部情報をフラットに吸収するマーケティング機能を持つことになる。

そして性善説。オープンであろうとするときに、性悪にものを考えていてはあらゆるリスクヘッジに多大な人的金的コストをかけることになるばかりか、企業であれ個人であれ前例を超えた領域で何も行動することができずに、結果自らの成長を停止させ、その性悪の責任をとることになる。 もちろん、そもそも論としての「悪いことしたら絶対バレるんだから悪いことはしない」という意味での自己性善説という側面も含まれる。

インターネットの出現によってあらゆる認知障壁が排除されつつあるこの時代に生きている私たちは、カゴの中でいつとって食われるか恐怖に怯えながら生きていくのか、陽射しの美しいガラス張りの世界でありのままの姿で飛び回る生き方にするのかを、気持ちの持ち方一つで選ぶことのできる幸せな世代なのかもしれない。

ま、どっちにしても本当の自由を手に入れてはいないんだが。

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2004年12月05日

イレギュラー&パートナーズ 山本一郎社長

切込隊長を見てきたよ。かっこよかったよ。
http://kiri.jblog.org/

なんていうか、ああいうふうでいられることにちゃんと幸せを 感じて、できるだけありのままで、でも自分のプレゼンスを考えながら姿かたちを造ってるひとだった。地にちゃんと足がついてる人だった。

百ン十人の人が集まって、もちろん有象無象いる場所だったと思うけど、彼がマイクでしゃべるとみんな輪になってたかんじだった。一次会も二次会もなんだかみんなみんな楽しそうだった。

どんなにえらくなったり金持ちになったりしても、どんな有名人になっても、その場での自分の造り方を心得て、いちびりすぎることなく卑屈にもならず、いいバランスで表現するということ、場を輪にして人をいい気持ちにさせることができるってこと。

またおれの中のかっこいい人が一人ふえたよ。

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